忍者ブログ

イタリア語検定2級への道

3回落ちて、2006年・4回目にとうとう取得できた イタリア語検定2級。 2007年秋イタリア語学校の奨学生として、会社の休みをもらい、ミラノに1ヶ月留学。 その後、ちょっとした燃えつき症候群になるものの、仕事に使うなら英語も必要ということで、 しばしTOEICの勉強をしていました。 2009年3月に受けた結果は、780点。 残念ながら目標の800点に届かず。 TOEICのおかげか否かは不明なものの、2009年念願の正社員で働き始め、語学とは遠ざかるばかりの毎日。 イタリア語への情熱が再び燃え上がる火はくるのか!?

HOME Admin Write
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

~La meglio gioventu'の一番最初の時代~
イタリアで1966年に何が起こったかについて
⇒ダーウィンの進化論は禁止図書として、バチカンに指定される。
他の国では
⇒中国、中国分化革命・イギリス、バスター・キートン死去・日本、敬老の日が作られる。
(ちなみに日本で当時100歳以上の人口は約200人、そして2年前の統計では約2万人となりました。およそ100倍!)

そして、私達は当時何をしていたかについて話しました
先生
⇒当時二歳、冷蔵庫はあったが洗濯機・電話・ガス・テレビは内生活だった。パンはチケットに買った量を記して、毎月または毎週まとめて払うというシステムが取られる。
牛乳、オリーブオイル、ワインなどは定期的に軽トラックでやってくる人から容器を持って入れてもらっていた。
など、40年前とは思えないレトロな生活をしていたそう。
でも、これってかなりエコロジーライフですよね。

他の生徒サン
⇒ある人はお父様が転勤族ゆえ、2年ごとド田舎に引っ越さねばならず、母親が良くぼやいていたのを覚えているそう。
⇒また、ある人は同時すでに電話があったのを良く覚えていたみたいです。なぜなら保育園にいくのを嫌がると、母親がお医者さんに電話をかけるふりをして、「うちに悪い子がいますので、注射を持ってきてください」と言っていたからだそうです(笑)

そして、私
⇒まだ産まれてません(^^;)父は24歳母は18歳、まだ知り合う前でした。なので当然兄も産まれていません。
そう言うと、周りは騒然。私は唯一の20代だったみたいで、ここしばらく言われなかった”Sei giovane."を言われて、浮かれてしまいました(←バカ?)

自分が生まれる前のことをイタリア語で考える。初めての経験でした☆☆☆
PR
この記事へのコメント
お名前
タイトル
メールアドレス
URL
文字色
絵文字 Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
コメント
パスワード   コメント編集用パスワード
 管理人のみ閲覧
この記事へのトラックバック
トラックバックURL:
カレンダー
09 2017/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

フリーエリア

最新コメント
最新トラックバック
プロフィール
HN:
Camminina
性別:
女性
職業:
OL
趣味:
イタリア語
自己紹介:
埼玉県在住。4度目の挑戦にして2006年12月、晴れてイタリア語検定2級に合格。
2007年2月、イタリアでの4週間授業料免除の奨学生に志願・通過!
10年目にしてやっと実り始めたイタリア語ライフ。
その後、TOEIC受験を経て貿易関連の会社に転職。
語学から、少し離れた生活を送っています。
好きなもの:たくさん
嫌いなもの:パイナップル、魚の目
興味津々なもの:建築、英語、スピリチュアル

バーコード
ブログ内検索

カウンター

Copyright ©  -- イタリア語検定2級への道 --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Material by 押し花とアイコン / Powered by [PR]
 / 忍者ブログ