イタリア語検定2級への道
3回落ちて、2006年・4回目にとうとう取得できた イタリア語検定2級。 2007年秋イタリア語学校の奨学生として、会社の休みをもらい、ミラノに1ヶ月留学。 その後、ちょっとした燃えつき症候群になるものの、仕事に使うなら英語も必要ということで、 しばしTOEICの勉強をしていました。 2009年3月に受けた結果は、780点。 残念ながら目標の800点に届かず。 TOEICのおかげか否かは不明なものの、2009年念願の正社員で働き始め、語学とは遠ざかるばかりの毎日。 イタリア語への情熱が再び燃え上がる火はくるのか!?
選択したカテゴリーの記事一覧
- 2025.05.21 [PR]
- 2006.11.19 ネタたくさん
- 2006.11.14 イタリア語検定2級1次結果報告
- 2006.11.12 話せない~
- 2006.11.11 1966年
- 2006.11.11 La meglio gioventu'
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週末は、金曜土曜とイタリア語の授業やらレッスンやらがあって、ネタが豊富なのに、それを更新する時間がなかなか設けられず、日曜にまとめてしている状態です。
少しでも、時間を作って更新できると良いのですが、まとめてしてしまっています。
金曜日の授業は、先生の授業の進め方にもだいぶ慣れてきて、何とかペースが作れてきたところです。宿題の答え合わせをしていても、ほとんどの人が少なくとも一つは質問をしているので、実に活気のある授業です。
他の人の意見も一生懸命聞いていて、自分の意見もオリジナリティあふれるもので、大変刺激的です。
金曜の先生は、2級対策でお世話になったので、合格した旨を報告しました。すごく喜んでくれたので、嬉しさも二倍になりました。
少しでも、時間を作って更新できると良いのですが、まとめてしてしまっています。
金曜日の授業は、先生の授業の進め方にもだいぶ慣れてきて、何とかペースが作れてきたところです。宿題の答え合わせをしていても、ほとんどの人が少なくとも一つは質問をしているので、実に活気のある授業です。
他の人の意見も一生懸命聞いていて、自分の意見もオリジナリティあふれるもので、大変刺激的です。
金曜の先生は、2級対策でお世話になったので、合格した旨を報告しました。すごく喜んでくれたので、嬉しさも二倍になりました。
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結果から先に、1次試験合格しました!
まだ2次が残っているけど、それでも嬉しい!本当に嬉しいです。正直、最近会社で腹が立つことや悲しくなることがあって、イライラしたり泣きたくなったりカッとしたり、激しい感情が表に出てきていて、疲れていました。気力も削られているような感じでした。
でも、この結果を見て元気になれました。
点数は以下のとおりです
私の点数/合格基準/満点
リスニング 20 / 16 /22
筆記 28 / 25 /36
作文 20 / 12 /20
合計 68 / 59 /78
でした。今までとってきた点数より10点くらい上がりました。何より、ビックリしたのは作文です。なぜか分からないけれど、満点。
テーマからは沿っていないとあれだけ落ち込んで、先生からは直され、基準点を取れていれば良いな。と思っていたのに。
こんな私でも頑張れば結果が出ると分かって、嬉しかったと言うよりホッとしました。あとは、周りのたくさんの人に応援・協力をしてもらったおかげです。
このブログのコメントでたくさん励ましてもらって、勇気をもらいました。本当にありがとうございます。
次は2次です。後3週間弱、頑張ろうと思います。
今日は、個人レッスンでした。
このあいだの10月に受けた2級の問題と、今までの結果(点数)を先生に見せました。
聞き取り、書き取り、作文全てで基準点を取っていても、トータルの点数で3回とも及ばず不合格だったためか
「Ma,perche'!?」と、言われました。
全てのカテゴリーの基準点の合計よりも、トータルの基準点のほうが高いことに納得していない様子。
たしかに、2003年に受けたとき結果を見て「Ma,perche'!?」と、私も叫んだもんな~
今日は、2級の間違えたところをチェック。文章の意味を理解できていなかった部分を教えてくれました。ちょこっと、下書きの作文を見てもらいましたが、ざっくり間違い、良くない部分指摘されました・・・。
日本語の文化としてその傾向が強いらしいのですが、文章に余計な説明を付け加えすぎているそうです。分かりやすく且つ簡潔に書く必要性を指摘されました。
このことを、spirito di sintesi と言うそうです。イタリアでは教養のある人ほど、言葉少なく多くを語るそうな。
こんなことを教えてくれる人は居なかったぞ!と感動しましたが、そうではありませんでした。
今まで、毛嫌いしていた要約がそれでした。長い文章を、簡潔に意味を失わない練習を、しばしばイタリア人の先生に薦められていました。イタリアでは、子供のときから要約を習慣付けられているそうです。日本でもするけど、あんまり重要視されていないもんな~
どちらが良いとは言えない。これは言葉の文化の違いと言っていました。
そして、過去問を参考にテーマに沿って話しをしました。とたんに会話がシドロモドロになり始めました。こんなに、話せないの!?と言うくらい、言葉が文章にならない。苦しい・もどかしい!
ここは、聞き取りとリピーティングや音読を徹底的にする必要がありそうです。
ショッキング~(T_T)
このあいだの10月に受けた2級の問題と、今までの結果(点数)を先生に見せました。
聞き取り、書き取り、作文全てで基準点を取っていても、トータルの点数で3回とも及ばず不合格だったためか
「Ma,perche'!?」と、言われました。
全てのカテゴリーの基準点の合計よりも、トータルの基準点のほうが高いことに納得していない様子。
たしかに、2003年に受けたとき結果を見て「Ma,perche'!?」と、私も叫んだもんな~
今日は、2級の間違えたところをチェック。文章の意味を理解できていなかった部分を教えてくれました。ちょこっと、下書きの作文を見てもらいましたが、ざっくり間違い、良くない部分指摘されました・・・。
日本語の文化としてその傾向が強いらしいのですが、文章に余計な説明を付け加えすぎているそうです。分かりやすく且つ簡潔に書く必要性を指摘されました。
このことを、spirito di sintesi と言うそうです。イタリアでは教養のある人ほど、言葉少なく多くを語るそうな。
こんなことを教えてくれる人は居なかったぞ!と感動しましたが、そうではありませんでした。
今まで、毛嫌いしていた要約がそれでした。長い文章を、簡潔に意味を失わない練習を、しばしばイタリア人の先生に薦められていました。イタリアでは、子供のときから要約を習慣付けられているそうです。日本でもするけど、あんまり重要視されていないもんな~
どちらが良いとは言えない。これは言葉の文化の違いと言っていました。
そして、過去問を参考にテーマに沿って話しをしました。とたんに会話がシドロモドロになり始めました。こんなに、話せないの!?と言うくらい、言葉が文章にならない。苦しい・もどかしい!
ここは、聞き取りとリピーティングや音読を徹底的にする必要がありそうです。
ショッキング~(T_T)
~La meglio gioventu'の一番最初の時代~
イタリアで1966年に何が起こったかについて
⇒ダーウィンの進化論は禁止図書として、バチカンに指定される。
他の国では
⇒中国、中国分化革命・イギリス、バスター・キートン死去・日本、敬老の日が作られる。
(ちなみに日本で当時100歳以上の人口は約200人、そして2年前の統計では約2万人となりました。およそ100倍!)
そして、私達は当時何をしていたかについて話しました
先生
⇒当時二歳、冷蔵庫はあったが洗濯機・電話・ガス・テレビは内生活だった。パンはチケットに買った量を記して、毎月または毎週まとめて払うというシステムが取られる。
牛乳、オリーブオイル、ワインなどは定期的に軽トラックでやってくる人から容器を持って入れてもらっていた。
など、40年前とは思えないレトロな生活をしていたそう。
でも、これってかなりエコロジーライフですよね。
他の生徒サン
⇒ある人はお父様が転勤族ゆえ、2年ごとド田舎に引っ越さねばならず、母親が良くぼやいていたのを覚えているそう。
⇒また、ある人は同時すでに電話があったのを良く覚えていたみたいです。なぜなら保育園にいくのを嫌がると、母親がお医者さんに電話をかけるふりをして、「うちに悪い子がいますので、注射を持ってきてください」と言っていたからだそうです(笑)
そして、私
⇒まだ産まれてません(^^;)父は24歳母は18歳、まだ知り合う前でした。なので当然兄も産まれていません。
そう言うと、周りは騒然。私は唯一の20代だったみたいで、ここしばらく言われなかった”Sei giovane."を言われて、浮かれてしまいました(←バカ?)
自分が生まれる前のことをイタリア語で考える。初めての経験でした☆☆☆
イタリアで1966年に何が起こったかについて
⇒ダーウィンの進化論は禁止図書として、バチカンに指定される。
他の国では
⇒中国、中国分化革命・イギリス、バスター・キートン死去・日本、敬老の日が作られる。
(ちなみに日本で当時100歳以上の人口は約200人、そして2年前の統計では約2万人となりました。およそ100倍!)
そして、私達は当時何をしていたかについて話しました
先生
⇒当時二歳、冷蔵庫はあったが洗濯機・電話・ガス・テレビは内生活だった。パンはチケットに買った量を記して、毎月または毎週まとめて払うというシステムが取られる。
牛乳、オリーブオイル、ワインなどは定期的に軽トラックでやってくる人から容器を持って入れてもらっていた。
など、40年前とは思えないレトロな生活をしていたそう。
でも、これってかなりエコロジーライフですよね。
他の生徒サン
⇒ある人はお父様が転勤族ゆえ、2年ごとド田舎に引っ越さねばならず、母親が良くぼやいていたのを覚えているそう。
⇒また、ある人は同時すでに電話があったのを良く覚えていたみたいです。なぜなら保育園にいくのを嫌がると、母親がお医者さんに電話をかけるふりをして、「うちに悪い子がいますので、注射を持ってきてください」と言っていたからだそうです(笑)
そして、私
⇒まだ産まれてません(^^;)父は24歳母は18歳、まだ知り合う前でした。なので当然兄も産まれていません。
そう言うと、周りは騒然。私は唯一の20代だったみたいで、ここしばらく言われなかった”Sei giovane."を言われて、浮かれてしまいました(←バカ?)
自分が生まれる前のことをイタリア語で考える。初めての経験でした☆☆☆
昨日の映画の授業では、日本でも上映された「輝ける青春~La meglio gioventu'~」を観ました。
毎週3人の先生がローテンションで授業をされるので、それぞれ映画を観ながらどこに注目するかに個人差があり、それぞれの方法に合わせるのに少し苦労します。
今までも授業の内容を少し紹介しましたが、今回の授業ではかなり長く観ることが出来て満足でした。
時代は1966年、とあるローマ中心街で父と息子二人とのアパート内でのやり取りから始まります。
内気で文学を学ぶMatteoと明るく薬学を学ぶNicola、二人の息子の対比が面白いです。
今回の先生の着目点は、登場人物の振る舞いの描写をすることがメインでした。その中に、我々生徒の経験談なども織り交ぜて会話をしていきました。今までの先生は、何を話していたかに注目することが多かったので、まずそこに戸惑いました。しかし、自分の意見も考えねばならず、頭は高速回転。その分充実した授業でした。
1966年には世界で何が起こっていたか、我々は何をしていたかなどを話し、登場人物の行動の原因などもについても話しました。
詳しくは、改めて別に書きます。
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プロフィール
HN:
Camminina
性別:
女性
職業:
OL
趣味:
イタリア語
自己紹介:
埼玉県在住。4度目の挑戦にして2006年12月、晴れてイタリア語検定2級に合格。
2007年2月、イタリアでの4週間授業料免除の奨学生に志願・通過!
10年目にしてやっと実り始めたイタリア語ライフ。
その後、TOEIC受験を経て貿易関連の会社に転職。
語学から、少し離れた生活を送っています。
好きなもの:たくさん
嫌いなもの:パイナップル、魚の目
興味津々なもの:建築、英語、スピリチュアル
2007年2月、イタリアでの4週間授業料免除の奨学生に志願・通過!
10年目にしてやっと実り始めたイタリア語ライフ。
その後、TOEIC受験を経て貿易関連の会社に転職。
語学から、少し離れた生活を送っています。
好きなもの:たくさん
嫌いなもの:パイナップル、魚の目
興味津々なもの:建築、英語、スピリチュアル